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The World Heritage | The Historic Village of Gokayama

The World Heritage - The Historic Village of Gokayama

 富山県の南西端にある、小さな世界遺産の村、五箇山。

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 実際に訪れてみて、僕はある錯覚に取りつかれた。ここへ立ち寄る道中、どこかのタイミング、どこかのラインから、時間の軸みたいなものを跨いでしまったのではないか、という錯覚だ。いったん村の奥深くへ足を踏み入れてしまえば、時代を指し示すしるし―――近代的な建物、企業の広告、雑踏のざわめき、どこかしらで流れている音楽―――といったものは悉く姿を消してしまう。現代という時代そのものが一塊になり、ごっそりと深い穴の中へ落下してしまったかのように。五箇山がかつて流刑地であったことを村の人から教わる。ここはむかし、陸の孤島であったのだと。見渡すとたしかに一帯を取り囲む険しい山々が見える。

 僕は微かに緊張を覚える。いまの五箇山は世界遺産にも登録され、観光客を迎えている。でも、かつてこの集落は閉ざされた共同体だったのだ。

 暫く村の中を歩いて廻る。どんどん時代感覚があやふやになる。僕は自分がいつの時代を生きているのかという確信の拠り所を失っている。でも、人間なんてそれほど確固たる確信をもって、自分がいつを生きているかなんて実感していないのかもしれない。日付の刻まれた新聞、なんとなく見つめるTVのニュース、いやおうなしに日々届くE-MAIL。そういった身辺の小さな事象との接触で、なんとなく人は自分の生きている時代を認識しているのに過ぎないのかもしれない。村の人々と話をすることで、僕は少し落ち着きを取り戻す。でも異世界にいるような感覚は消えない。ここはどこなのか、ではなくいつなのか、という奇妙な感覚。たぶんその妙な感覚は、僕が五箇山に訪れたときの天候が、うっすら湿り気すら感じる、どんよりした曇天であったことも手伝っていたと思う。まったく日が差さない空はどこまでもスタティックで、切り立った合掌造りの屋根屋根にミステリアスな陰影を生んでいる。

 でもやがて、その感覚はどこまでいっても錯覚でしかなかったことに気づく。それは当たり前と言えば、当たり前なのかも知れないのだけれど。やがて天上を覆っていた雲が捌け、煌々と太陽が照り始める。それは間違いなくじりじりとした夏の陽差しで、だんだんと僕は汗ばんでくる。外国人のバックパッカー達がぞろぞろと歩いている姿が見える。携帯電話も通じている。かすかにラジオかTVの音も聞こえる。民宿や土産物売場があることを示すものだって、ちゃんとある。バックパッカーは腕を組んで記念写真を撮り始める。僕は紛れもなくここは現代の日本のどこかで、地に足を踏み入れることが出来る現実の場所であるという感覚を取り戻す。異質な何かは、既に僕の身体を通り抜け、どこかへ消えている。

 五箇山で僕の肌が感じていたものは何だったのかはわからない。でもこうして東京に戻ってきたいまも、写真を見て思い出すだけで、あのときのいささかフェノミナルな感触がありありと蘇る。五箇山の風景はそれまでの僕にとって、昔話やお伽噺でしか伝え聞いていたことのないものだった。しかしそれは現実の風景として僕の目の前に現れた。イメージではなく、アクチュアルなものとして。そこには何らか物語性が孕まれていた。どこかへ出向く、どこかへ足を踏み入れる。旅をすると物語性に接触する。あるときはその中に取り込まれるし、またあるときは自分自身が物語性の一部になる。旅そのものが自分自身を通過する。僕は旅をした。そしてたしかに触れたのだ。

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