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脚本家・龍樹のオフィシャルHP
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瀬戸内海 | Seto Inland Sea

 瀬戸内海にて。直島へ向かう船上から。
 時にたゆたうような、海。

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Manhattan

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イエロウに塗られた、キャビン・フォワードのマーキュリー。
環境のためとはいえ、見慣れたキャブの風景がもうすぐ
New Yorkから姿を消してしまう。
それは、少し淋しいことでもある。


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軍艦島「JAPAN HERITAGE」ロケハン

前項に続き、これも「JAPAN HERITAGE」のロケハンにて。
安易な感動を拒む、日本近代遺産の中でも異質な存在。

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オランダ坂の猫たち

JAPAN HERITAGE」のロケハン、長崎にて。
 オランダ坂の近くで、猫の一家と遭遇。当然のようにここで一息入れて、猫と遊ぶことにする。この猫の一家は、別の日もこの辺りで、のんびりとひなたぼっこをしていた。羨ましい限りと言いたいところだけど、猫さんには猫さんのサバイバルというものがあるので、迂闊なことは言えない。
 この猫の一家は、けっこう人なつっこい。僕らがそこに居る限り、この猫たちも僕らに構ってくれる。よしよし。


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Château de Chambord | LA LOIRE

「THE世界遺産」構成の下見で、パリからロワールへ。
 ロワール川の流域に残る古城の中で、最大の威容を誇る、シャンボール城。その広大な敷地の広さは、やや強引な表現だが、パリ市内の大部分と肩を並べる広さとも言われる。往時の王権の強大さを偲ばせる。
 ビザンチン、ゴシック・・・様々な建築様式が入り乱れ、独特の城観をみせるシャンボール城。このロワール最大の城の建築には、ルネサンス期を代表する偉大なる芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わったとされる。


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Château de Chenonceau | LA LOIRE

パリから再びロワールヘ  
ここは、ロワール川の支流に跨がって聳える白亜の城、シュノンソー城。
この城は、代々の城主が女性であった為、6人の女の城と呼ばれている。


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 またこの城は、貴婦人達が、その所有権を巡って愛憎劇を繰り広げた場所でもある。中でも一番の確執劇として後世に語り継がれているのが、ディアーヌ・ド・ポワチエとカトリーヌ・ド・メディシスの確執。時の国王、アンリ2世の妻と、その愛人だ。イタリアの名家、メディチ家に生まれたカトリーヌ・ド・メディシスは、イタリアとの外交を重視していた当時のフランス王国の政略を背景に、フランソワ一世の後押しを受け、アンリ2世と結婚する。そのとき、カトリーヌは一四歳に過ぎないが、当時としては特異といえる年齢ではない。 カトリーヌ・ド・メディシスは、芸術への造詣と理解が深く、彼女がイタリアからもたらした食文化が、現在のフランス料理の原型を造ったと言われている。彼女は、王国の文化面に多大な影響を及ぼした貢献者だった。

でも、アンリ2世がシュノンソー城を贈った相手は、妻のカトリーヌではなく、絶世の美女と謳われた二〇歳年上の愛人、ディアーヌ・ド・ポワチエだった。アンリ2世は、事実上、政略結婚の相手だった妻、カトリーヌには関心を示さず、政治的な影響力を持つ事すら許さなかった。アンリ2世の寵愛は、愛人であるディアーヌ・ド・ポワチエへ向かって一心に注がれる。ディアーヌは、アンリ2世の父、フランソワ一世の愛人でもあったが、幼少期のアンリ2世にとって、ディアーヌの姿は、宮廷を自由に出入りする、優雅で洗練された貴婦人として、その記憶に刻まれていた。  年齢を感じさせない美貌とその知性に、やがてアンリ2世は虜になる。アンリ2世は、異例とも言える爵位すら彼女に付与し、ディアーヌは宮廷での影響力を強めていく。カトリーヌはそんなディアーヌに、狂おしいほどの嫉妬を抱いていく。

 優勢の愛人、劣勢の妻。すべてを変える逆転劇を生んだのは、国王アンリ2世の死だった。カトリーヌは、王の寵愛という後ろ盾を失ったディアーヌを直ちに追放し、かねてからの望みだったシュノンソー城を奪い返す。その際、カトリーヌは王が贈ったすべての物品の変換を、ディアーヌに迫ったという。 宮廷を追放された失意のディアーヌは、自らの領地に隠棲し、その地でひっそりと生涯を閉じた。

PARIS | Opera, St.Michael

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    PARIS | Rives de la Seine

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    Hemingway | A Moveable Feast

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     もしも、幸運なことに  
     若き日を、パリで過ごすことができたなら、
     その後の人生をいかなる場所で過ごそうとも、パリはついてまわる。   
     なぜならば、パリは移動祝祭日だから、だ。

     これは、ヘミングウェイの記した「移動祝祭日」における、有名な序文だ。
    「移動祝祭日」は、1921年から1926年にかけてヘミングウェイがパリで過ごした日々の思い出が綴られている書で、僕は当時、これを二十歳の時に読み、青年期にありがちな夢想を繰り広げ、しばらくすると旅の用意を調え出し、やがて、導かれるようにしてパリへ向かった。そして、その通りになった。あの序文の言葉通りに。当時大学生だった僕は、理工学部に属していたのだが、仏文科に転部して、親を悩ませることになる。この言葉を読んでいなかったら、僕は理工学部をそのまま卒業し、エンジニアになっていたかもしれない(そんな才能があればの話だけども)。そういった意味においては、僕の人生においてひとつの転機となった言葉ではある。

     タイトルの「移動祝祭日」という言葉は日本人としては馴染みにくいが、要するに年ごとに日付の変動する祝日ということである。ヨーロッパでは聖人にちなんだ祝日が多いので、わりにこういった祝日が多い。祝うべきことが先立ち、決まりごと=日付は、その後を追いかける。ともかく、ヘミングウェイはパリで過ごした日々について、人生における祝祭日のようなものと考えたわけだ。かれがパリで青春期を過ごした20年代は、パリの至るところで新しい芸術が生まれようとする息吹があり、それはもう刺激的な街だった。かれの傍にはゼルダとの関係に悩むフィッツジェラルドがあり、スタイン、パウンド、ジョイスらが居た。カフェに腰を据えるかれのそばには、つねに何杯目かのコーヒーか、或いはカラフェの安ワインがあった。寒い日にそれは、生のオー・ド・ヴィか、あるいは温かなヴァン・ショーにとって変わられる。かれはそれを飲み、思索に耽り、将来を案じ、そして、ただひたすら書いた。それが青春期のヘミングウェイだ。かれはひとりカフェに居て、ときどき美しい女に出逢う。そんなある日の記述がなかなか良いので、ここにちょっとだけ抜粋したい。

     一人の若い女性が店に入ってきて、窓際の席に腰を下ろした。とてもきれいな娘で、もし雨に洗われた、なめらかな肌の肉体からコインを鋳造できるものなら、まさしく鋳造したてのコインのような、若々しい顔立ちをしていた。髪は烏の羽のように黒く、顔にナナメにかかるようにきりっとカットされていた。 ひと目彼女を見て気持が乱れ、平静ではいられなくなった。いま書いている短編でも、どの作品でもいい、彼女を登場させたいと思った。しかし彼女は外の街路と入口双方に目を配れるようなテーブルを選んで腰を下ろした。きっとだれかを待っているのだろう。で、私は書きつづけた。 ストーリーは勝手にどんどん進展していく。それについていくのがひと苦労だった。セント・ジェームズをもう一杯注文した。顔を上げるたびに、その娘に目を注いだ。鉛筆削り器で鉛筆を削るついでに見たときは、削り屑がくるくると輪になってグラスの下の皿に落ちた。  ぼくはきみに出会ったんだ、美しい娘よ。きみがだれを待っていようと、これっきり二度と会えなかろうと、いまのきみはぼくのものだ、と私は思った。きみはぼくのものだし、パリのすべてがぼくのものだ。そしてぼくを独り占めしているのは、このノートと鉛筆だ。 それからまた私は書きはじめ、脇目もふらずストーリーに没入した。いまはストーリーが勝手に進むのではなく、私がそれを書いていた。(高見浩 訳/新潮文庫)

     たしかにこれは、一人の若い女性について書かれた記述ではあるけれど、かの女にたいする思いは、かれのパリに対する思いでもある。きみがだれを待っていようと、これっきり二度と会えなかろうと、いまのきみはぼくのものだ。そして、パリでの日々はかれの肉体の一部になった。それからかれがどこへ行こうとも、パリはかれの中に棲み続け、かれの心を捉え続けた。それはたしかに、「移動祝祭日」だった。決して長かったとは言えないかれの、人生の中の青春期を彩った、祝祭だった。

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     そして、いまのぼくも、パリのカフェに居る。サン・ミッシェル広場の近くの、こぢんまりとしたカフェだ。時刻は午後の九時を回ろうとしているが、7月のパリは、夕刻手前のように明るい。だから、まだ夜ではない。観光客があちこちへカメラを向け、老婦人が手慣れた感じでその間を縫って歩いている。かの女はバゲットと、野菜を詰め込んだ袋を抱えている。広場では、若い男がよくわからないパフォーマンスをしている。民族楽器のようにも見える変わった太鼓を持っているが、かれはそれを叩くことはない。ただ、呪詛のようにひたすら言葉を吐き続けている。即興詩人なのかもしれない。やや斜めに置かれた隣の席では、モデルのように綺麗な女性が、細いタバコを咥え、火を点けようとしている。たが、なかなかライターの火が点かない。すかさず、近くに居たウェイターが手で風よけを作ってやる。かの女は礼を言うかわりに、とっておきのスマイルをかれに差し向ける。微風のおかげで、かれは得がたいものを得る。やがて22時になる。だがまだ日は暮れない。この長い昼を味わうがために、夏のパリには訪れる価値がある。肌を灼き、さんさんと照りつけ、茹だるような暑さをもたらす夏の陽と、きんきんと冷やされたカラフェの中の白いワイン。少なくとも、ここには他のどの場所にもない時間の流れ方がある。パリにやってくるのは数年ぶりだったけど、昔を思い出して、いちいち感傷に浸ったりはしない。パリはあのときと変わらない。ブックマークを挟んでおいた小説を再びめくるように、なんの留保も澱みもなく、以前とかわりなく物語は進む。ぼくは抗うこともなく、その自然な流れの中に身を置いている。思索に耽ることもなく、以前も座ったことのあるこのカフェで。ぼくはただ、ぼぅっとしている。
     あの「移動祝祭日」は、ヘミングウェイが無名時代の日々を記したものだ。それが書かれてから、もう100年にも迫るときが流れている。しかし、その輝きはいまも失われていない。かれの文体も、パリの描写も。

     パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに、他のどの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのがどんなに難しかろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずそれを見返りに与えてくれた。が、ともかくこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。(同じく、高見浩 訳/新潮文庫)


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    パリのクルマ事情

     パリの縦列駐車は、ローマのそれと並んで、ちょっとした観光名物だ。クルマの全長より、ホンの僅かでも余白のあるスペースを見つけたら、このときばかりに、ねじ込もうとするクルマをあちこちで見かける。中世の街並みが、いまもそのまま都市として現存するこの街では、当然のこととして碌々パーキングスペースなんてない。だからパリを往来するドライバーは、老若男女問わず、縦列駐車に関しての一家言を持つ事になる。


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     パリの縦列駐車は、ローマのそれと並んで、ちょっとした観光名物だ。クルマの全長より、ホンの僅かでも余白のあるスペースを見つけたら、このときばかりに、ねじ込もうとするクルマをあちこちで見かける。中世の街並みが、いまもそのまま都市として現存するこの街では、当然のこととして碌々パーキングスペースなんてない。だからパリを往来するドライバーは、老若男女問わず、縦列駐車に関しての一家言を持つ事になる。

     前後のバンパーをコツンコツンと当てながら、パズルみたいにスペースを埋めていくやり方はある程度共通するとして、最初のハンドルの切り返しにそれぞれの流儀が出る。ノーズから切り込むか、はたまた、バックでテールから切り込むか。ほとんどのドライバー達は、それぞれ縦列駐車に自信を持っているから、駐車に手間取るドライバーに対して容赦をしない。行く先を塞ぐクルマが一向にスペースに収まる気配がなければ、クラクションを鳴らすかわざわざ窓を開けて罵声を浴びせる(それも、『お前はおとなしくリンゴでも剥いてろ(*注)』みたいに、良く分からない罵り方をする)。達人クラスになると、バンパーが触れるか、触れないかくらいの微妙な間を保って、スルリと滑らかな操作で入れてしまう。こういうのは見ていても楽しい。カフェでのんびり一杯やっていると、たまに目の前で、師範代と呼びたいくらいの縦列駐車を見かける。こんなときは思わず拍手を送ってしまう。すると、だいたいのドライバーはウィンクか何かを返してくれる。これもまた、老若男女問わず。

     こういうときのパリは、ちょっといいなと思う。縦列駐車みたいな日常の些事に、物語が膨らんでいく素地がある。これが東京だと、いくら上手く縦列駐車しても、せいぜい駐車監視員から「ちゃんと300円入れろ」と視線で念を送られるくらいだものね。もちろん、東京には東京の良いところが、沢山あるけれども。

    *注
     この罵りは、今回の滞在で聞いたもの。モンマルトルに向かう途中のタクシーの中で。そこまでニコやかに話していた柔和なおじさんが、いきなり血走った顔で窓を開けて怒鳴るんだから、あれにはびっくりしたな。

    ロワールからパリへ

     前項のロワールヘのシナハンがてら、空いた日程で久しぶりにパリに寄る。今回のシナハンは自主的なものなので、日程にはわりに余裕がある。余裕があるとなると、概ねやることは決まってくる。折角フランスに来たんだもの。こちらに居る旧友にも会いたいし、ちょっとくらいはカフェでワインも飲みたい。ひたすらじりじりと照りつける太陽があり、いつまでも日の暮れない、うんと昼の長い、夏のパリ。街頭のカフェで日暮れを気にせず、ひたすらぼうっと無為に過ごす時間は他には代え難い。
     という訳で、以降、ちょっとだけパリの話が続きます。


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    LA LOIRE | Tours, Blois

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    FRANCE | LA LOIRE

    番組のシナハンで(正確には構成ハンティング)、フランス・ロワール地方へ。ロワール川は、全長1000キロメートルにも及ぶフランス最大の大河で、河口は大西洋に臨む。このとき僕が向かっていたのは、この川の中ほどの流域「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」と呼ばれるエリア。数々の歴史的な古城が建ち並ぶことから、世界遺産に指定されている。ここには、かつて王たちが美の粋を競った、ルネサンス時代の宮殿が綺羅星のごとく点在する。


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    Doha | International Airport

     これは或る日のドーハ空港の風景。免税店に、Porsche Panamera や、BMW Z4といった高級車が並べられている。別の日にはメルセデスのSLSまでも。うーん。


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    韓国へ

     舞台打合せのため、早朝から韓国へ。
     これから、ある女優に会うことになっている。非常に楽しみ。


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    高松へ「JAPAN HERITAGE」シナハン

    「JAPAN HERITAGE」のシナハンで高松へ。
     通常とは違う飛行ルート、というアナウンスがあり、窓の外を覗いてみる。 眼下にあったのは、うっすら雲を湛えた日本アルプス。

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    京都の桜  大覚寺、円山公園、平安神宮


    京都の桜は、見る者にひとつの「病み」を遺す。 その病みは親しい者との別れにも似ている。名残惜しくて、去り難い。

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    京都府庁旧本館

     現在も執務室や会議室として使われている京都府庁旧本館。
     その竣工は明治三十七年。西暦でいえば、1904年。日本の激動期にあって、その真っ直中に建てられたこの建物は、すでに百年以上もの時を刻む。

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    食の色彩

     京の料理は目にも楽しい。水際立つ色彩がある。

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    ・もち料理「きた村」
     京都市下京区木屋町仏光寺上ル
     http://www.kyoto-yuka.com/simokiya/kitamura.html

    京都:鴨川、伏見、十石舟

     東京にいる限り、変動し続けるあらゆる価値観へ応じなければいけない。
     食文化にアート、建築やファッション。日常の中にあらゆる国々の文化が入り乱れ、そして流行り廃りを繰り返している街では、価値観は固定せず、流動的だ。
    そういった意味において、京都は東京と対をなす。千年単位の歴史観が感じさせるのだ。動き続けているものなど、所詮水面の出来事に若かないのかと。

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    京都:西陣、京町家、二年坂

     京都ではあらゆるものが―――人々の話し方、時の流れ方が―――ゆったりと感じられる。
     それは、他のどの場所に存在しない時間の流れ方だ。

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    京都:嵐山、伏見、清水

     翌々週の撮影を控えて、ロケーション・ハンティングへ。
     これから咲き誇ることになる桜、そして人々をじっと待つ。

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    THE MUSEUM OF CONTEMPORARY ART,KARUIZAWA

    The Museum of Contemporary Art, Karuizawa (軽井沢現代美術館)』にて。

    長倉(旧軽と中軽の中間あたり)の森の中にあり、周到に配置された窓は木漏れ日を採光する。開放的でサロン的な雰囲気を持つところが、とても軽井沢の美術館らしい。フラッシュを使用しない限り、写真撮影にも寛容な姿勢にも好感を抱く。

    ひと通り廻った後は、温かい紅茶が差し出される。巨大な美術館では味わえない贅沢な時間だ。

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    Autumn Leaves

     秋の軽井沢にて。
     10月も半ばにして、既に紅葉が深い。
     路を行くクルマのタイヤは、枯葉踏む音を周囲に聴かせることになる。

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    葉山の海岸線

    友人のウェディング・パーティがあるNowhere but Hayamaへ向かう道中、とても美しい落陽に遭遇する。素晴らしい日の、思いがけない贈物。

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    21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa

    21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa (金沢21世紀美術館)』にて。

    兼六園の真弓坂口すぐ近くにある現代美術所蔵の美術館。グラスエリアを広く採り、クリーンで円形状にスタンスする建物の構えが、このミュージアムの指向を物語る。館内には空間を活かしたインスタレーションが数多く存在し、スクエアな天窓から空の移ろいを感じ取ることが出来るブルー・プラネット・スカイ、水面を通じて地上と地下の人々が出会うスイミング・プールは特別な視覚体験をもたらしてくれる。

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    The World Heritage | The Historic Village of Gokayama

    The World Heritage - The Historic Village of Gokayama

     富山県の南西端にある、小さな世界遺産の村、五箇山。

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     実際に訪れてみて、僕はある錯覚に取りつかれた。ここへ立ち寄る道中、どこかのタイミング、どこかのラインから、時間の軸みたいなものを跨いでしまったのではないか、という錯覚だ。いったん村の奥深くへ足を踏み入れてしまえば、時代を指し示すしるし―――近代的な建物、企業の広告、雑踏のざわめき、どこかしらで流れている音楽―――といったものは悉く姿を消してしまう。現代という時代そのものが一塊になり、ごっそりと深い穴の中へ落下してしまったかのように。五箇山がかつて流刑地であったことを村の人から教わる。ここはむかし、陸の孤島であったのだと。見渡すとたしかに一帯を取り囲む険しい山々が見える。

     僕は微かに緊張を覚える。いまの五箇山は世界遺産にも登録され、観光客を迎えている。でも、かつてこの集落は閉ざされた共同体だったのだ。

     暫く村の中を歩いて廻る。どんどん時代感覚があやふやになる。僕は自分がいつの時代を生きているのかという確信の拠り所を失っている。でも、人間なんてそれほど確固たる確信をもって、自分がいつを生きているかなんて実感していないのかもしれない。日付の刻まれた新聞、なんとなく見つめるTVのニュース、いやおうなしに日々届くE-MAIL。そういった身辺の小さな事象との接触で、なんとなく人は自分の生きている時代を認識しているのに過ぎないのかもしれない。村の人々と話をすることで、僕は少し落ち着きを取り戻す。でも異世界にいるような感覚は消えない。ここはどこなのか、ではなくいつなのか、という奇妙な感覚。たぶんその妙な感覚は、僕が五箇山に訪れたときの天候が、うっすら湿り気すら感じる、どんよりした曇天であったことも手伝っていたと思う。まったく日が差さない空はどこまでもスタティックで、切り立った合掌造りの屋根屋根にミステリアスな陰影を生んでいる。

     でもやがて、その感覚はどこまでいっても錯覚でしかなかったことに気づく。それは当たり前と言えば、当たり前なのかも知れないのだけれど。やがて天上を覆っていた雲が捌け、煌々と太陽が照り始める。それは間違いなくじりじりとした夏の陽差しで、だんだんと僕は汗ばんでくる。外国人のバックパッカー達がぞろぞろと歩いている姿が見える。携帯電話も通じている。かすかにラジオかTVの音も聞こえる。民宿や土産物売場があることを示すものだって、ちゃんとある。バックパッカーは腕を組んで記念写真を撮り始める。僕は紛れもなくここは現代の日本のどこかで、地に足を踏み入れることが出来る現実の場所であるという感覚を取り戻す。異質な何かは、既に僕の身体を通り抜け、どこかへ消えている。

     五箇山で僕の肌が感じていたものは何だったのかはわからない。でもこうして東京に戻ってきたいまも、写真を見て思い出すだけで、あのときのいささかフェノミナルな感触がありありと蘇る。五箇山の風景はそれまでの僕にとって、昔話やお伽噺でしか伝え聞いていたことのないものだった。しかしそれは現実の風景として僕の目の前に現れた。イメージではなく、アクチュアルなものとして。そこには何らか物語性が孕まれていた。どこかへ出向く、どこかへ足を踏み入れる。旅をすると物語性に接触する。あるときはその中に取り込まれるし、またあるときは自分自身が物語性の一部になる。旅そのものが自分自身を通過する。僕は旅をした。そしてたしかに触れたのだ。

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    KANAZAWA

     夏の金沢へ。
     たちこめる古都の香り、寡黙で親切な人々、しんとした茶屋街の静寂。
     貴い、不変。

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